ポストを得るには教育・研究実績が必須――というアメリカの大学。一方、日本では
日本のマスコミは、例年12月のノーベル賞発表時期になると、どこの国のだれがノーベル賞を受賞するのかで大騒ぎである。
学者の世界では、ノーベル賞を受賞することで大学の給料が上がり、外部からの研究資金の提供者も増え、大きなメリットがある。
しかし一般の人々にとっては、アカデミー賞と同じく、単なる年1回の文化イベントにすぎない。
とりわけノーベル賞受賞者が多いアメリカでは、意外ではあるが、学者は日本ほど一般国民の尊敬の対象ではなく、
むしろビジネス、なかでもベンチャー企業の成功者がそうした対象である。
それゆえに、米フェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグCEOやアマゾンCEOのジェフ・ベゾスら
ベンチャービジネスのトップリーダーをめざして、競って起業しようとする若者が多い。アメリカ人にとっては、
ビジネスで成功して、大邸宅や海外の別荘などで優雅な生活を送るのが人生の目標だからだ。
アメリカの大学教授は、成功したビジネスマンやスポーツ選手ほどではないにせよ、
仕事に対する物質的対価、すなわち報酬(年収)の高さと研究費という待遇によって評価が決まる。
つまり給料の高さがその教授の社会的評価の高さにつながるのである。
今回はアメリカの大学の学長や教授の給料の実態をもっと詳細にみることによって、
日本の大学との格差がどのくらいあるのかをみてみることにする。
■アメリカ人は「カネ」と「ココロ」どちらを重視するのか
アメリカの政治学者、R.イングルハート(ミシンガン大学政治学部教授)はその著作
『静かなる革命』(The Silent Revolution, Princeton University Press, 1977、
邦訳:三宅一郎他訳、東洋経済新報社、1978年)において、1970年代に高度産業化しはじめた西欧先進国に、
<モノの豊かさ>(経済的豊かさ)という「物質主義的価値観」よりも、
<生活の質:Quality of Life>(個人の自立やライフタイル、社会的自由を求めていくこと)の充実を求める
「非物質主義的価値観」=<ココロの豊かさ>へと移行する動きがみられることを、国際的な比較調査を通じて明らかにした。
この頃からアメリカ人は、モノやカネに十分に満足した経済的に豊かな社会を享受し、
ココロの豊かさや精神的な充足を求めたとされているのが一般的な見方である。
しかしアメリカ人が「人生における成功とは何か」と問われた時に返ってくるのは
「ビジネスの世界で成功し、大金持ちになることである」というそれとは裏腹の回答ばかりである。
それを示すように、アメリカにおける職業ランキングでは、大手企業やベンチャー企業の社長という企業経営者が上位にランクされ、
大学教授がそれに続く位置にある。では、なぜ大学教授がそれに続くのか。
企業のCEOが数十億円という報酬(年収)を手にするのに対して、
大学教授の平均報酬はせいぜい2000万〜4000万円前後なのだが、超一流の有名教授ともなると、
大学の報酬(年収)の他に企業等からの報酬もあり、合わせると数億円にもなるからだ。
とはいえ大学教授間のこんな格差もある。
超一流の研究大学と地方の州立のコミュニティカレッジの教授の年収は、前者が平均約2500万円前後、
後者は約400万円程度という天と地ほどの差があるのだ。
アメリカの大学教授は超一流の大学のテニュア(終身在職権をもつ)教授になるべく、壮絶な闘いをしていくのである。
ニューズウィーク日本版
https://www.newsweekjapan.jp/stories/carrier/2018/04/post-10055.php
続く)
そりゃ給与も日本の30倍だろ
大抵は良くて翻訳者なので現状でも高すぎるかと。
日本は実質終身雇用
そのせいで若い研究者がポストを得られない
逆www
アメリカは、テニュアを取れば定年も無く 「辞めたい」 と言うまで続けられるw
成果が出なくて研究室が縮小されることはあってもクビになることは無い。
ぐぐった程度の知識じゃん
実際逆。
横から失礼。アメリカでテニュア持ちの教員を、本人の意に反して解雇するのは相当難しいと思っているんだが、
実は容易という情報とかあるん?
研究室の家賃とかあるから稼いでこないと居場所すら確保できなくなって辞めざるをえなくなる。
もっとも,研究費確保にあくせくするのなら辞めて悠々自適な年金生活を選ぶ。
どうでもいい派閥政治だのやった結果の地位なんだから、今の給料でも貰い過ぎな位。
そこから国税と地方税を引かれる。
日本の大学教授なんて大半が無能の寄生虫みたいな奴ばかりだし
ってのはアメリカじゃ罪人だわな
根源はここやね
あれどういう定義なんだろうね
「軍事にしか使えない研究はしません」だったら、範囲は相当狭いから実質的な問題は少ないと思うが、
「軍事に応用可能な研究はしません」だと、理工系の研究がほとんどできなくなってしまう
軍事に繋がらない研究なんて世の中ほとんどないからな。
例えば,言語学はもとより比較文化とかもグローバル展開する米軍には大切な分野だしな。
経済学,会計学関係も巨大な軍組織の運営には必要とされて,実際に,米軍は研究費出しているしな。
文学,哲学,宗教学もそのそも人間はなんで戦うのかという根源的なテーマで米軍は研究費出している。
軍事=ハード,兵器なんて考えでは,まだまだ,本物の軍事国家ではないということだよ。
軍事研究は禁止といのなら,「平和研究」をもっと真摯にやればいい。
内容は軍事研究とほとんど変わらなくなる。
今の「平和研究」や平和研究者はデモだの言論テロだののゲリラ戦術
研究実践への資金援助になっちまっているけどな。
こういう形で大学が運営できるシステムがあることがポイントであって、給与だけ論点に上げてもダメ
大学入るまでに教育費かけてきた富裕層が大学の学費では安くあげとるね
日本でも教授が個人の会社で資金集めしやすくなったり
公立より私学の学力を上げて多額の寄付金払う人には〇〇卒の肩書き売ったりすればいいのかいな
とりあえず卒業しても無価値なFラン大学とか全部なくせ。
そしたら、無意味な奨学金返済の苦労とかなくなるし、教育費が減って、もう一人子供を作る余裕ができるかもしれんし、
早く社会に出ることにより経済力がついて消費に回せるし。
あと、補助金とかもなくなるから行政にもやさしい。
いいことしかない。
日本の国立大学の教授の給与は税金で賄われているので、せいぜい900万円くらいが妥当である。
同じく税金で賄われている理研の研究者の給与が高額なのもおかしい。
日本の私立大学は、もっと魅力的な年俸額と移籍金を提示して、国公立の安月給の教授を引き抜くべし。
ここが肝ぞ