殺人の疑いで逮捕されたのは、三重県いなべ市の会社員・太田高之容疑者(59)です。
太田容疑者は7月3日の午前9時すぎ、滋賀県東近江市萱尾町の橋の上から、同居する母親のはるゑさん(88)を背負った状態で、
約14mの下の川に飛び込み、はるゑさんを殺害した疑いが持たれています。
2人は川に飛び込んだ約4時間後に消防に救助されましたが、はるゑさんは低体温症になっていて搬送先の病院で死亡が確認されました。
太田容疑者も腰の骨を折る重傷です。
警察は太田容疑者の認否を明らかにしていませんが、無理心中の可能性も視野にいれて詳しい動機を調べることにしています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d04868bd7b40adc8307cce6a9556ef0cf5d250d6
殺人扱いで立件したあと無罪かどうかの判決やな
自殺しそうやし刑務所に入れた方が良いとは思う
生かされても地獄やろ
一緒やで
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
ここ最高に切ない
認知症要素がね…
やめーや
これこの後自殺したから胸糞
結局生きてて辛かったんやなって…
自殺したからこそ真実やったんやなって
皮肉な話やね…
そんな男性の悲劇的な「その後」が報じられたのは、事件からおよそ10年を迎えようとしていた2016年1月5日。同日付け毎日新聞によると、14年8月、滋賀県大津市の琵琶湖周辺で投身自殺したというのだ。
裁判後、男性は同県草津市の家賃約2万2000円のアパートに1人で暮らしながら、木材会社で働いていた。しかし13年2月、「会社をクビになった」と親族に伝えたのを最後に、音信不通となった。
亡くなる際に持っていたのは、数百円の所持金と「へその緒」
毎日によると、親族が警察に行方不明者届を出したが、結局、14年8月1日に滋賀県内で遺体で見つかった。その日の朝、男性とみられる人物が琵琶湖大橋から湖へ飛び降りるのを目撃した人がいたという。亡くなる際に身に着けていたカバンには、数百円の所持金とともに自分と母親のへその緒、「一緒に焼いて欲しい」と書かれたメモが入っていた。
悲しすぎるわこんなん
つらい
悲しすぎるわ
こういう人は遠慮なく生活保護でも何でももらって生きててええやろ
腰の骨折った逃げる心配もない53歳を逮捕する必要あるのか?
勝手に自殺されても困るんやろ
なら保護観察じゃないのか?
上級無罪のアレとほんま矛盾してて笑えるわ
安楽死も認められないしどうしょうもない
される
保護責任者遺棄罪
自力で生存する能力がないなら赤子と同じや、餓死でも熱中症でも死について故意があれば最悪殺人にすらなる
50くらいで死ぬ仕組みにしろや
2〜30年後は他人事じゃないと思うとほんま胸が締め付けられる
子の数年或いは数十年が親の介護に消費されるとか生物として何処か歪
母親に背負われるんやろな
お前らもはよ結婚しろ