・日本の土地全部の値段がアメリカの土地全部の値段の4倍(アメリカの広さは日本の25倍なので、100倍の土地が買えた)
・10億円の家が即完売
・東京都多摩地区の公園が約100個消滅(ビルを建てるため)
・ゴッホの絵を過去最高額の4倍の値段(4000万ドル)で日本企業が購入
・ゴルフ場を利用できる権利が売買される。価値は8年で10倍に
・NTTの株価がNTTが年間に稼ぐ利益の200倍の値段がつく(利益200年分の株価)
・日本航空は400年分
・この株価について世界からおかしいと言われていたが日本人だけが「これが適正価格。世界がおかしい」と信じていた
200万円のリッジレーサーの筐体が
ゲーセンにズラッと並んでた
そら盛大に弾けるわw
24時間戦えますか?のCMソングは比喩でも何でもない
休日出勤会社宿泊が当たり前の時代だった
日本「やばいから証券会社のみなさん、なんとか株価維持するようお願いします」
野村証券、山一證券、日興証券、大和証券「わかりました」
証券会社「みんなーすげえ金融商品できたぞー」
特金
簡単に言うと、企業の代わりに株とか買って資産運用します
すくなくとも銀行の金利は絶対保証します
→要は最低でも銀行の金利と同じ、儲かればそれ以上絶対に払うと言う保証付きのもの
金利保証は違法だったが政府は黙認
こうして日本企業は本業以外での株や不動産なんかの投資による利益が爆上げする
当時は「財テク」と呼ばれ、めちゃくちゃ流行した
日本企業「もっと特金買いてえ」
証券会社「ワラント債やりましょう(ボソッ」
ワラント債
お金を返してもらう権利プラス利子(ここまでは普通の債権)
プラス株を安く買う権利
※厳密には違うけど簡単のためこんな感じの説明で
日本企業「ワラント債やってます!みんな買ってください!」
海外「利子だけじゃなくて株ももらえんのかよ!買います!買います!」
こうして世界のお金が日本企業に集まりだす
当時は円が大人気だったので
例えばワラント債を100ドルで買ってもらう(たとえばこの時点で1ドル = 100円とする)
↓
ドルのまま持っとく
↓
時間経つとたとえば1ドル = 120円になる
↓
最初は
100円*100ドル = 1万円
だったのが
120円*100ドル = 1.2万円
になる
つまりお金借りてるのに逆にお金受け取ってるみたいな状態になってた
日本企業「どんどん売りますよー」
海外「買います買います!」
日本企業「金集まったから特金にどんどんつぎ込みます」
証券会社「特金で集めた金で株に投資しまくります」
こうして日本の株価は高騰する
不動産価値がどんどん上がるので銀行が企業に融資するとき本来は
会社の業績だったり、利益だったりを見るものなんだけど
「その会社がどのくらい不動産を持っているか」が基準になり始める
つまり本業がどれだけ調子悪くても不動産持ってれば金が借りれる状態になる
1987年に「バーゼル合意」に参加
ここでBIS規制というものが作られる
BIS規制は簡単に言うと、
「銀行が自分で持ってるお金の12.5倍までしか貸しちゃダメです」
(自己資本最低でも8%もっとけ)
っていう規制
株、不動産が暴落すると借金を返済できない企業が続出する
企業に貸付を行っていた銀行たちは不良債権(返してもらえないお金)がどんどん増えていく
お金返してもらえない
↓
仕方ないのでその分は自分が持ってるお金から捻出
↓
自己資本の比率が下がっていく
↓
>>37 BIS規制に引っかかっちゃう
こうして企業はどんどん破産、倒産
銀行もやばい
国民「銀行にお金預けといたらやばくね?」
国民「だよな。引き出しとこうぜ」
こうして取り付け騒ぎが起きる
世界「しょうがないな。じゃあ日本だけ特別に持ってる株の含み益の半分を自己資本(自分の持ってるお金)としてカウントしていいよ」
日本「どうも」
まあややこしいので簡単に言うと
「日本の株価が上がり続ければ、日本の銀行は今まで通りの感じで貸付ができる」
「裏を返すと株価が下がりだしたら銀行即潰れます」
それでも日本の株価は伸び続けた
ところが当時のリクルートが政治家に賄賂としてこっそり自社の株を配りまくったのがバレ(リクルートコスモス未公開株事件)、日本全体に政治家に対する不信感が強まる
政治家への不信感から、大蔵省と全く関係のない日銀の中から叩き上げでのし上がった三重野康が日銀の総裁として君臨する
これを機にバブルは崩壊し始める
そこで三重野総裁はバブルを鎮圧するべく策を講じる
それを上回る勢いで地価も爆上げしていた
なので普通のサラリーマンは家を買うことは不可能に近い状態になったりしていた
三重野総裁はバブルを鎮めるため、金利を引き上げた
金利を引き上げることで、株や不動産への投資をやめささ、預金するよう促した
みんなの目を覚まさせようとしていた
そんなこんなで株価はやっぱり上がり続け、当時の日経株価は市場最高の38915円にまで達していた(比較のために現在は22500円)
つまり今まで盛んに行われていた「不動産買って儲けるんで金貸してください!」っていう企業に金を貸さないようにし始めた
ても実はこれには抜け穴があった
つまり規制はされたけど本音では不動産に投資したかった銀行は、住専に肩代わりさせることで今まで通りの融資を続けようとした
まあでも不動産向け融資の規制は一定の効果があった
金利引き上げ、不動産向け融資の規制
これだけしてもバブルはなかなか収まらなかった
最終的には定期預金の金利は6%になる
日銀の金利の話がどんどん広まっていくと
「普通に貯金してても2%、定期なら6%金利もらえるし、わざわざ株に投資しなくてよくね?」
という風潮になっていく。
これが浸透していき、株式市場は崩壊し始める
しかしうまくいかず株価はどんどん暴落
日本企業、日本人が買い漁った海外の高級ビルなんかは軒並み売りに出されるように……
日本「やばいやばい。とりあえずペイオフ制度(預金額の1000万までしか保証しない)を一時的に変更して政府が全額保証することにしよう」
しかし間に合わず銀行、証券会社はどんどん潰れる
1996年
阪和銀行破綻
1997年
三洋証券破綻
北海道拓殖銀行破綻
山一證券破綻
バブル崩壊で有名な個人投資家も次々破産
尾上縫(おのうえぬい) 破産
累計借金額 1兆1975億円
ピーク時は借金の利子だけで1日1億7000万あったもよう
通称「失われた20年」
完
庶民が死んでた