ふと考えてみるとアジア圏で貨幣による納税がはじまったのっていつなんだろうな
いやふと考えるとアジア圏というか西洋でも貨幣による納税がはじまったのっていつだ?
戦争で兵士に食料配るのがめんどい
兵士に金を渡し、農民から金で税金を収めさせると、農民が兵士に食料渡してくれる
よっしゃこれだ!
いや、そんな情報一つもつかめない
江戸初期は実際間違ってはいない
貨幣の流通、経済が発展した中期から問題点が増えまくるけど
いや、それは金が普及した基礎的な原理に反するがな
金というのは腐らないことが前提条件だ
あれ?中国でも16世紀から銀で納税しとるぞ
貨幣の普及がおかしい
これ豆な
んなこたあない
日本が塩と米で交換だって言ってる間にウォール街ではでかいモニターで世界経済操ってたんだろ
そりゃ勝てねえわ
先物取引は日本が世界初だぞ
つーかいつといつの比較だ?
明治政府が絶対的な正義だわ
天日干しすると良いぞ
我が国は明治時代まで日本という中央政府がなかったから
統一された金銭感覚がなくて、納税をずっと地方の有権者に任せていたのね
だから金という概念が弱かったけど
これを明治政府が日本という中央政府を作ったことで統一したのね
うん、やっぱり明治政府が最強だわ 明治政府万歳
貨幣も室町期から徐々に流通し始めた程度
うむ、しかし中国が銀本位制に移行したことにより
銅の貨幣が不足し日本は再び米による納税を主流としたとさ
これはイエローモンキーですわ
貨幣と違って流通量がコントロールできない
一般に人口を養える程度に生産量が調整されるからいいんじゃない
金融政策として貨幣量をコントロールするようになったのって銀行業が発達した近世末期から近代じゃないか
漫画日本昔話とかでは
みんな米食えてないイメージがあるんだが
本当にうちの国は江戸時代とかに
繁殖に必要な分米を確保できていたんだろうか?
ぶっちゃけ明治大正昭和でさえできていない気がする
できるようになったのは戦後からのイメージが
しかも戦後増やし過ぎた感がある
戦後まで海外移民とかあったからなあ
つマルサスの法則
相対的に人口が増え過ぎれば人口の方も調整される
基本的にはできてるよ
米の普及がいきすぎて、価値が下落してる訳だし
ただ不作のときはあるし、商人がそういったとき買い占めて値をつり上げたりと色々あるから、常によかった訳ではない
毎日飢えるか飢えないかの生活してる奴には金や銀などなんの価値も無い
生活にゆとりができる→金銀が重用されはじめる→貨幣経済
各地で新田開発や鉱山開発がさかんに行われていて人口移動や転職も活発だった
明治政府が強引に近代市民社会のようなものを作ったけどそれを可能にしたのは江戸時代に貨幣経済の下地を十分に作り上げたから
江戸時代の人口は3000万人で
明治時代の人口は5000万人〜6000万人だぜ
3000万人食わせられるだけの経済力を築いた明治政府の功績を
江戸幕府が奪うことは理屈上不可能
そうしたら幸福度がとか言い出すだろうけど
江戸時代の幸福度の統計なんて知らんけど
人口は指数関数的に増えるから江戸時代より明治の方が人口増加率が高くなるというのは自然なこと
それに加えて西洋医学や農業技術の導入による生産量の増大もあったしね
貨幣経済をやるには商品経済を発展させ貨幣も蓄積しなきゃいけない
そのためのステップが江戸の商品経済だった
そして明治になって貨幣経済の導入と工業化を進めて世界経済と接続を果たせたことで米を大量に輸入することが可能になり明治後期の人口爆発を支えきることが可能になった
はわ……
少なくとも1720年から江戸時代の人口は
3000万人で横ばいなのに
妄想がソースってすごい
それ富士の噴火の影響じゃないか
あと小氷期
なるほど、産業革命よりはじまる地球温暖化の恩恵を明治政府が預かっただけで
殖産興業も北海道の開拓も富国強兵も
全てが意味がなく、江戸時代のままでも人口は増えてた論か
まぁ、それはたらればの話だからわからないことだけど
いや、そこまでは言わない言わないw
明治のがそりゃ文明、科学、国力全部伸びてるよ
ただそれ以外の要素もあったんじゃねって話
1600年から1870年までに人口は約1000万人から3000万人になっている
そしてこの時代の人口増加は新田開発や工鉱業の発展に支えられたもので明治時代とは経済の構造も技術水準も異なるしさらには人口増加率をもって江戸と明治のどちらが優れているかなんて言うこともできない
ウソついて論破しても
意味ないじゃん
https://www.chs.nihon-u.ac.jp/institute/human/kiyou/96/6.pdf
そんなんで勝って嬉しいか?
お前が欲しかったのはそんな力か?世界か?
その資料ざっと読んだけど嘘ついてるってどの辺が?
ごめん、ウソではなかったわ
経済が150年停止していたことを度外視するのを忘れてた
ごめん
明治時代は4000万人〜5000万人だったわ
https://www.chs.nihon-u.ac.jp/institute/human/kiyou/96/6.pdf
これ見ればわかるけど
江戸時代にはなんの下地もなかったといっていい
江戸時代はクソオブクソ
安価な食糧供給が人口増加につながるというのに
TPPやRCEPなどの自由貿易に反対し
価格が高いメイドインジャパンの農産物を増やすことで
人口減少を加速させようとする
民主党と共産党って国賊だわ
小松菜とか地元産が一番でかくて安かったし
あふん💗
畜産農家も酪農も含めてよごめんね💗
小松菜は知らん
ものによるのは認める
ゴマとか国産なんて0%スレスレじゃなかったっけ?
メイドインジャパンのゴマを栽培したら価格がどれだけ跳ね上がるかは知らん
衣食住が行き渡ればそりゃすぐ増えるよ
江戸の識字率は当時では世界トップレベルだった模様
うっうー
江戸時代の識字率は確かに世界トップレベルだったけど
明治政府は国民皆学を狙って、義務教育を無償化したのかな?
その結果大正時代には90%以上の国民が学校へ通えるようになって
すごい識字率を叩きだしたんだよ
江戸時代もすごいけど、明治に比べるとかすむねw
富国強兵のビジョンとそれに基づく国策とか江戸じゃ到底やれないし、必要もないしな
経済的に朝鮮や満蒙進出はあまり有益ではなかったというのが定説
貿易や資本輸出したくて植民地を持ったのではなく西洋への恐れや面子、人口問題が根底にあった
帝国主義のように世界経済の拡大を砲艦で推し進めていたわけじゃない
1600年から1870年までに1000万人から3000万人に増えたのは事実か
それがたとえ1600〜1700までに2800万人
1700〜1720までに3000万人
その後150年3000万人で横ばいでも
1600年から1870年までに1000万人から3000万人に増えたのは事実か
織田信長政権も基本は貨幣経済
豊臣秀吉の時代になって太閤検地から石高制に移って幕末まで続いた
こういうのは太閤検地などをソースに後世の歴史家が出した数字だから
ついつい戦国時代が貫高制だったことが閑却されがち
1石が一人あたりの年間消費量とみなされてたらしいぞ
しかし年間通して戦いたいために兵農分離をすすめ、農民から税としてお米をあつめ、それを兵士に分配するというスタイルが生まれた(職業軍人の誕生)
一石は一人の兵士が一年に食べる量。
たとえば、10万石あるっていうと、兵士を10万人動員できる、ことを意味した。
結果、石高は軍事力を表す指標となった。
じゃあ田舎の土地のほうが価値があったの?
世界的に租税が穀物だった地域のが多いやん
金銀は切手為替と同じで、紙幣はさらに金銀の切手為替やろ
哲学スレ
貨幣の価値が減るなら使おうという気になる。タンス預金が出来ない。経済が回る。